仏教

生まれ変わりはあるのかないのか

 

自分の行いによってその後の結果が左右されるという考えがあります。

がんばって勉強すれば成績が上がる、がんばって練習すればサッカーがうまくなる、良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくる。

因果応報ですね。

これはひとつの人生における因果ですが、あなたは「生まれ変わり」はあると思いますか?ないと思いますか?

 

ここではあるという話ですすみますが、人は生きている間に善行を積むと次も人に生まれ変わることができるといいます。

そして悪行を重ねた人は人以外のものに生まれ変わるといいます。

仏教的な話ですが、これは六道輪廻(ろくどうりんね)と言って、人としての一生を終えると、四十九日までの間に7回裁判が行われ、その人がどういう一生を送ってきて、この先どの道へ送ればいいのかを判断されていくそうです。

これは宗派によっても考え方が分かれるところですが、ひとつには7回目の四十九日に判決が言い渡され、人になるのか人以外の生き物になるのか、はたまたそのほかの道に進むのかが決まります。

 

人生の回数

例えばいい年して周りに迷惑をかけているような、マナーの悪い人がいたとします。電車の中で大声で電話する人、ポイ捨てをする人。

そんな人が近くにいたら、気分もよくないし文句の一つでも言いたくなってきますが、その人いわく、そんな人は怒ってやったらダメだそうです。

なぜかというと、その人は初めて人に生まれ変わってきたから、初めてだからわからないんだ、仕方がないんだと考えるのだそうです。

こう考えると、周りのことを考えずに平気そうに迷惑をかけているような人にも、場合によっては腹を立てずに済むかもしれませんし、1回目なんだなぁと笑えてくるかもしれません(笑)

 

逆に同い年や年下でも、これは人間的にかなわない、実力的にかなわないと思う人はいると思います。

それは何回も人として生まれ変わってきているからだそうです。

学校の勉強でも、みんなスタートは同じなのにだんだんと差がついてきたりします。

それは勉強ができる子は、何回も前世で人として同じことをしている、だからその差だといいます。

お釈迦さんも前世においても行を続けていて、ついに釈尊として生まれた時代に悟りを開いたと言われています。

有名な話では、自らを腹を空かせた子トラに食べさせたという「捨身飼虎」という話があります。

信じる信じない

生まれ変わりを信じる人、信じない人、それぞれあると思いますが、個人的に仏教は、神を信じなさい的な話ではなく、人生を心豊かに過ごすためにはどうすればいいかという「考え方」を教えてくれるものだと解釈しています。

考え方なので、考えてどういう風な解釈に至るかはそれぞれあっていいと思います。

生まれ変わりはあると思えばこんなユニークな話ができますし、ないと思えばそれで終わってしまします。

 

これは科学とも似ていると思っていて、科学は人がどうすればより良い生活が送れるか考えるという側面を持っています。

そのための解釈やアプローチもそれぞれあります。うまくいくこともあればうまくいかないこともあります。

研究というのはひとつの答えを見つけるために続けることなので、真理を追究するために修行をすることと似ているなと思いました。

 

お釈迦さんも、長年続けた苦行もこれは最良の方法ではないと気づき、菩提樹の下で瞑想し悟りを開いたといわれています。

苦行というアプローチが違うと思っても、そこで探求、研究することをやめなかったから思う結果が得られました。

目に消えない真理もあると思えばある、ないと思えばない。

生まれ変わりもないと思うよりあると思った方が、人生面白いんじゃないかと思います。

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