お釈迦さんの物語の中に「捨身飼虎」(しゃしんしこ)というものがあります。
腹を空かせた子トラ7匹の前に身を投げ出し自らを食べさせたという話です。
昔この話を聞いたとき、これが本当だったらすごい捨て身の善意だなぁと思ってました。
しかし一方では、今後の責任が持てないのに、1度きりの善意で次を期待させるような行為はしない方が良い、また腹を空かせたら結局死んでしまうから苦しみが長引くだけだという意見もあるようです。
なるほど、これは物語として聞いて、現実味がなかったからすごいなぁで済ませてしまっていたけど、現実に腹を空かせた野良犬や野良猫に飼う気がないのにご飯を与える行為と同じだと言う人もいるのかと考えさせられました。
自分なりの考えですが、この子トラたちは、お釈迦さんのおかげで1度生き永らえました。このことでもしかしたら次も子トラにとって良いめぐり合わせで生きるチャンスに恵まれるかもしれません。
あの場で食べることができずに餓死していたら、なかったかもしれませんがあったかもしれないチャンスをつかめなかったでしょう。
もし自分が空腹でどうしようもない時、見かねた見知らぬ人が食べ物を一つ、もしくは何か買えるだけの小銭を置いてそのまま去って行ったとしたら、自分はその人のことを、「今後も食べ物の世話をしてくれる気がないのに余計なことをするな」と怒ったり恨んだりするでしょうか?
むしろその後ろ姿に感謝すると思います。
こういう話はどの立場に立って話すかによると思います。
肉食動物は狩りをします。狩られた方に感情移入するとかわいそう、襲った方は残酷だと思うかもしれませんが、狩った方に目を向けて、その獲物を自分の子供に食べさせるシーンを思い浮かべると、きっとほのぼのするのではないでしょうか? もしくは、厳しい自然の掟だなと肉食動物そのものを非難したりはしないと思います。
または、親に十分に狩りをする能力がなく子供を飢えさせてしまったとしても、無責任、能力がないなら産むんじゃないと非難したりもしないと思います。
もちろん個人的な意見ですが。
そしてそれは、野良猫に餌をばらまきに行く人を擁護しているわけでもなく、それはそれとしての問題は考えなくてはならないと思いますが、ことこの子トラに関しての話は、バッサリ否定するようなことではないと考えました。
それが人であっても、善意だろうと偽善だろうと、受けた側からするとありがたいことでしょうし、それを恩と感じるなら恩返しをするでしょうし、恩送りをするでしょう。
そういう循環のことを、仏教では廻向(えこう)といいます。
ちなみに心理学では返報性の原理というそうです。
思いがけず反対意見を知ってこういうことを考えることができた時間はとても良かったと思います。
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